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釈迦岳〜八経ケ岳〜吉野


9月5日(水曜日)
最終パッキング

9月7日から「熊野修験・秋峯入り(大峰北奥駈・順峯)」に参加する。
明日(6日)移動の予定。

・・・ここでブツブツと言い訳を・・・
何しろ7月末から8月下旬迄色々な雑務が多く、山に一度も登らないままだ。
なので奥駈に参加しても歩きとおす事が出来ないんじゃないか?っとブチ不安。
で図書館で借りた本が「バテない歩き方術」・・・本当に泥縄だなっとつくづく思うのだけど、その本の中に「世界的クライマーの山野井泰史さんはウエアのタグをハサミで切り取り、スプーンの柄さえカットして装備の軽量化を図る・・・」と書いてあった。
それを見て(おぉ〜そうかぁ〜)っと・・・早速実行
@水に溶かして使う粉末スポーツ飲料・・・55g×3袋=165g → 「塩熱サプリ・・・電解質をクイックチャージ」に変更30g
Aストック(長さ68p・280g)→ザックに入るサイズ(長さ40p・210g) 本日近くのヒマラヤに買いに走った。
B行動食の軽量化
  干し梅35g×3袋 を、包装から出し小さなジップロックに入れ替えた。90g(ゴミの軽量化も図れる)
  ・・・等々・・・・
C着替え
 濡れた時の予備として1日分(服上下・ソックス・肌着)
 その他には上着用に長袖シャツ 1枚
 長袖 2枚
 肌着・ソックス 3日
 ゴアテックスのカッパ 
D洗面道具 
 何しろ軽くする為に(歯ブラシ・小さな手鏡・眉墨・日焼け止め・リップクリーム・・・だけ)
・・・等々・・・
体を鍛えてない・・・という恐ろしい状態なので・・・その他・・・もろもろ・・・軽量化に励んだ。
9月6日(木曜日)
移動
新大阪迄は近い(新幹線で約2時間)のだけど、それからが遠い。
毎回来る度に思う。
明日朝は3時起きだから8時就寝。
9月7日(金曜日)
 釈迦岳 山頂

集合場所にAM4時集合。それからサポート隊の人達や、参加される人達の車に分乗して登山場所へ。
旭林道入口→釈迦岳→空鉢ケ岳→孔雀ケ岳→仏性ケ岳→楊枝の宿→船の多和→五鈷峰→禅師の森→明星ケ岳→八経ケ岳→古今の宿→弥山(弥山山小屋泊)

歩き出したのがAM7時半・・・PM3時頃から雨になった。
弥山山小屋へPM5時半到着
※PM3時頃から雨
 やはりストックを持って行って良かった。
 この過酷な道・・・。
 鎖場・・・半分から下はその場所へ行かなければ見えないという切れ落ちた場所あり。
 よくぞこんな場所に鎖や梯子をかけたなっと思う所・・・多々。
9月8日(土曜日)
 役行者が最初に修行した場所・・・笙の岩屋(巨岩)

AM4時起床 5時出発→講婆世宿→石休場→一の多和→行者還→七曜岳→弥勒岳→大普賢岳→ここで男性と別れ(女人禁制の為)和佐又山ヒュッテに下山(PM6時着)

朝から雨。11時頃から小降りになり昼食の時は雨は上がっていた。
知らないという事はのんきなもので・・・和佐又山ヒュッテに下山だから楽勝だろうと思ってた。
ところがこの下山道が鎖場と梯子の連続・・・切れ落ちた崖を横目に・・・心の中で「やっぱ奥駈はすごいな」っと改めて思った。(半端じゃない・・・)
しかし今夜は風呂がある♪

※男性は山上ケ岳へ行き「西の覗き」という修行をする。(新客さんと希望者) 桜本坊宿泊
9月9日(日曜日)


和佐又山ヒュッテ6時出発→男性陣との落合場所→元気な人だけで男性陣のお迎えに行く。
勿論私・・・行きました。(8人行った)
5番関手前迄行った。
お迎えを受ける度に涙が出そうになってた私は、今回は迎える立場なのに涙出そうになった。
私の横にいた四国から参加のAさんも感極まった感じで、言葉につまってた。

後で「迎えてもらう嬉しさを知ってるからこそ、迎える方も涙出るんですね」っと言われてた。
何しろ先頭を歩いてこられた行者さん達が「おぉ〜こんな所迄お迎えが来るなんて思ってもみなかった♪」っと、すごく喜んで下さった。
お迎えに行って良かったぁ〜♪

下山後 吉野の町にある 金峯神社→吉野水分神社→櫻本坊→喜蔵院→東南院→吉野山 蔵王堂・・・とお勤めをしながら歩いた。

この街中を歩いての勤行が・・・ブチ・・・ブチ・・・大変だった。
行く先々でお茶や菓子の接待があるのだけど、晴天だった事もあり暑い事が・・・。
何しろ昨日迄は山中だった事と、雨や曇りでとても涼しかったから、よけいに堪えた。

民宿泊
9月10日(月曜日)
移動
吉野→新大阪→徳山
JRジパング倶楽部が使えない線がある事を初めて知った。

忘備録
@行動食をほとんど残して持ち帰った。野菜ジュースは初日に1本飲んだだけで、残りの2本は持ち帰った。
  もっと少なくって良かった。(何しろ休憩がとても少ない。時間も5分と短い・・・ほぼ歩き食い状態)

A何が効いたのか解らないのだけど、一度も手がむくむ事が無かった。って事は今回持って行ったサプリは次の山の
 時にも、持って行こうと思う。

B奥駈の時には「初めて・・・なった」という事が毎回あるのだけど、今回は「初めて足が腫れた」
 マメが出来た訳では無く、連日長時間歩いた(何しろアップダウンが激しい)からだと思う。
 最後の吉野の街中のお勤めの時は「今靴を脱いだら、もう絶対履けない」って感じだった。
 民宿に入ってソックスを脱いで、その足を見た時驚いた。
 あぁ〜・・・当分登山靴も普通の靴も履きたくなぁ〜い・・・っと思った。(そうはいかないのだけど)

Cそうそう・・・サポート隊の車の中で、今回初参加の東京から来られてる女性群に「来年来ますか?」聞くと「もう来ま
 せん。こんな大変な山は歩いた事がありません」と即答。・・・まぁ解るけど・・・その気持ち。

D人が坂を転げ落ちるのって・・・本当に頭からゴロンゴロンと転げ落ちるんだなっと思った。今回は行者さんが一人と、
 違うグループの若い男性が目の前で転げ落ちた。
 幸い下が笹だったので3m〜5m位で止まった。

E四国遍路に行った時に・・・背中の荷物は世俗の欲の大きさ・・・と言われた事を思い出した。
 実は私・・・軽量化したと言いつつ、行動食は四分の一程度しか食べれなかったし、着替えの服も数着持って行っ
 てた。
 しかし行者さん達や、何度も奥駈に参加されてる方は・・・行動中の服と宿泊する時の服・・・しか持って行っていない
 事を知った。
 何故解ったか・・・初日の3時頃から雨の中の行動だったので弥山小屋では皆ドロドロの服だった。
 弥山小屋に到着して「着かえて下さい」と言われ全員で汚れていない服に着かえた。
 そして夕食の時「明日の朝食の時は今の綺麗な服のままで食べて下さい。行動する汚れた服だと山小屋の人に
 迷惑をかけますから」との行者さんの言葉。

 「え?このドロドロの服を明日もう一度着るの?」っと思い、仲良くなったBちゃんやIさんやSさんに「汚れた服を本当
 に着るの?」
 っと聞くと「うん。私持って来てないもの」との事。(三人共複数回参加した人)
 その他の何年も参加されている人達は皆「行動する服・小屋で着る服」しか持って来てない事を知った。
 私・・・軽量化したというのに・・・この時に四国遍路した時の「背中の荷物は・・・」という事を思い出した。
 世俗の欲が大きい私。

F三日目は、あちらこちらに足を引きずって歩いている人がいる。急峻な岩場や登山道を何度もアップダウンするので
 足を痛めてしまうのだと思う。(幸い私は痛めなかった)

G縁の下の力持ちの人達・・・今回は滋賀県から駆け付けたサポート隊の人達、そして地元のサポート隊。
 このサポート隊の人達がいなかったら奥駈は、もっともっと大変だと思う。というか無理かもしれない。

H手袋の指先に穴が空いた。
 そう言えば昔 涸沢にキャンプをして 早朝涸沢を出発→奥穂→前穂→奥穂→夕方涸沢に帰って来た時。
 この時も手袋の指先に穴が空いた。(岩場が怖かったのかなぁ?っと思う)
 そして今回も危険な場所がいっぱいで、一生懸命岩をつかんだり・・・鎖をもったり・・・木に頼ったり・・・で気づくと
 手袋の指先に穴が・・・。

思っていた通りの厳しい奥駈だった。
突然の電話でも優しく対応して下さり、参加させて頂いた高木導師に感謝。
行者さんに感謝
サポート隊の人達に感謝
御一緒した人達に感謝
家族に感謝
丈夫に産んでくれた亡母に感謝
もろもろの「お陰様」で「万行」出来ました。

感謝・感謝