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祝島



祝島は、出土品から弥生時代から漁業が営まれていたとか・・・万葉集にも記載があるとか・・・石を漆喰で固めた練塀が有名であったり・・・する。
   (ネットで検索すると沢山ヒットするので、此処では書きません)

@親子3代で作り上げた壮大な石組みの棚田。
A役行者が修行をしたと言われる「行者堂」へ行く。
    (歩きなので、この2か所に行く事しか出来ないと思った。)

島なのでフェリーの便がネックになる。
行きは・・・2便のフェリーで・・・柳井港を9時半に出航するフェリーに乗った。
                    (1便は室津 6時10分なので・・・ちょっと無理)
本土に帰るフェリーの便
3便あり・・・1便が・・・6時45分発 (柳井港)
       2便が・・・12時30分発(柳井港)
       3便が・・・17時5分発 (室津迄)

2か所歩く事を考えると、最終便の3便に乗る事になる。

行程
往路・・・自宅→JRで柳井港→フェリーで祝島
復路・・・フェリーで上関(室津にしようか・・・っと、ちょっと迷った)→防長バスで柳井駅→JRで自宅

到着して先ず行者堂へ向かった。
役行者(役小角)と言えば、2012年に参加した大峯奥駈の時・・・小仲坊という宿に宿泊した。
その小仲坊の五鬼助さんは、この役行者が修行の時に連れて歩いていた鬼の夫婦の末裔だ。
なんと61代・・・1,300年も修行者達のお世話をしてらっしゃる。
ちなみに・・・この五鬼助家の豆まきは「鬼は内、福も内」と豆まきします。
                                    (鬼の末裔なので)
そんな楽しい思いでもあるので、行者堂にも行こうと思っていた。
    (祝島の修行の時も鬼の夫婦は、一緒だったのかしら?)
※五鬼助さん御夫婦と私

そんな行者堂へ向けて、のんびりと春を愛でながら・・・写真を撮りながら・・・歩いて1時間ちょっとで到着。
要所にきちんとした看板が設置してあり、迷う事は無い。
ただし山なので、スニーカー等の靴が望ましい。
ちなみに島なのでイノシシ等の害獣もいないだろうと思い、ラジオや鈴のような音の出る物は持って行かなかった。

行者堂には手水鉢もあり、水も沢山担ぎ上げられていた。(行者堂の写真)

11時半頃だったので、行者堂のちょっと下った辺りで昼食。

途中に平家塚もある。(写真)

分岐点迄戻って平さんの石組みの天空の棚田を目指す。
春爛漫で、花の小道花達だった。

色々揃えた資料には「途中で舗装が切れます」と書いてあった。
なので舗装が切れるのを心待ちにしていたのだけど・・・真新しい舗装道を曲がると・・・そこが石組みの天空の棚田だった。(どうやら最近?舗装されたらしい)
思わずおぉ〜〜。(写真)

実際に石を運んだり、石を組んだ事の無い人は判らないかもしれないけれど・・・。
私は今年の冬は、道ぶしんの真似事をしたので石を運ぶ大変さ・・・石を探す大変さ・・・これを実感している。
なのでこの巨大な石組の棚田を見て「たった3代・・・3人で作り上げた」・・・ただただ頭が下がる。
あれだけの石・・・そこに入れる膨大な土・・・重機の無い時代に・・・兎に角すごいなぁ〜っと思った。

そうそう・・・もうひとつ・・・ちょっと胸が切なくなった石組みがあった。
それは・・・これ。
右上に見えるのが家なので、その石組みがどの位の高さか分かると思う。
4m近い石組みを組んで作った畑が、奥行きが2mも無いような幅なのだ。
そんな石組みを見ていて・・・本当に畑が必要だったし、欲しかったんだなぁ〜・・・っと思うと、なんだかとっても切なくなった。

もひとつ・・・そうそう・・・
実は友人が「島って平坦な土地が無いから、どんな島だって石組みで畑が作ってある」と言っていた。
その通りだった。
あっちも・・・こっちも・・・石組みがいっぱい。

先人の苦労って・・・一言で言ってはいけないような、そんな気がする。
乃南アサの「地のはてから」という本を思い出した。
   (北海道に開拓に行った人達の物語)

祝島の練塀の街並み

わた家でコーヒーブレイク

フェリー最終便で帰宅。
自宅に帰ったのはPM8時頃