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熊野古道(中辺路)

滝尻王子〜本宮




4月10日〜12日
熊野古道へ行こうと思って色々な本を読んだのだけど、ちょっとだけ不満があった。
というのはどの写真を見ても植林の山道なのだ。
「世界遺産=熊野古道=自然林」という漠然とした思い入れがあったからだ。

今回中辺路を歩いてみてエベレスト街道をトレッキングした時の事を思い出した。
トレッキングに参加した時に「3,000mを越えていても、そのに生活している人達にとっては生活圏ですので・・・」という説明があったのだ。
その事を思い出した。
牛馬童子から小広口の間は昔ながらの軒の低い民家があり、その周りは大きく育った桜があったり木蓮があったり、色々の季節の花が咲き乱れていた。
広縁があり、洗濯物が干してあり・・・生活そのものの「道」なのだ。
その人達にとってはその道は世界遺産では無く、生活道そのものだった。

だから植林をしたりシキビを植えたり榊を植えたりして収入を得ないといけないのだ。

熊野は「果無山脈」と言われる程沢山の山々が見渡す限り続いている。
その山々は皆急こう配だ。三角おにぎりをずらぁ〜っと並べたような感じかなぁ?
そんな中で脈々と生き続けていたのだ。

数えきれない人達が「癒し・満たす・蘇る」を求めて歩き続けた道。
そんな様子を思い浮かべながら私も歩き続けた。
(なんと二日目の歩行距離・・・約20キロ。9時間半)

その植林の山々にポツン・・・ポツン・・・と木の伐採跡地が見える。
その場所は熊野の木々の植生を元に戻そうとする個人や企業が木を伐採しているのだそうだ。
そして地面に太陽の光をあてて地面に落ちている種の発芽を待っているそうだ。
長い時間をかけて熊野の山々を昔のような植生へ変えようという事らしい。
(植林をする時も杉とかヒノキは植えないとの事)
石垣だけが残っている

明治時代に入って山の乱伐採の為に洪水が起こり、本宮が流されてしまった。
現在あるのはその流されなかった約三分の一を移設した建物だ。
数年来の檜皮葺の屋根も修復を終え、本当に美しい屋根になっていた。
(実はこの檜皮葺の屋根が大好きなのだ。今迄見た中で一番美しく素晴らしい屋根は出羽三山神社の屋根。)