・世界の構造と第二次欧州大戦
日本がベトナム戦争に踏み切ったのは、フランスが、ベトナムから手を引いたからであった。最初は、少数の軍事顧問団を送っていたのだが、共産ゲリラが勢力を増すにつれ、南ベトナムを援助しなければ、最終的に東南アジア全体が共産化してしまう。そう考えた日本政府は、南ベトナムに対する武器援助の質と量を拡大していき・・・。
ついに、1980年2月井上総理大臣は、「南ベトナム政府から救援依頼を受けた。」と大義名分を揚げ地上軍の派遣に踏み切った。しかし、本当の日本の思惑は、東南アジアの豊富な資源を赤色、つまり共産党の国々に、横取りされる可能性を恐れていただけであった。
1930年代、日本で陸軍主導のクーデターが起きた。世に言う二・二六事件である。この二・二六事件は後の日本に、大きな影響を及ぼすことになる。成功したからではない。失敗したからだ。大日本帝国陸軍は大きく縮小され、変わって海軍がこの国の主導権を握ることとなる。親英派の多い海軍は、英国との関係を深め、1935年に第二次日英同盟を締結することに成功。世界恐慌の波は、当時の日本にも襲ってきたが、英国のブロック経済の傘の中にはいることで、この不況に立ち向かった。そのころ、アメリカ合衆国では、ルーズベルトが落選、ウィルキー政権が台頭し、モンロー主義と親独の道を進むことになった。
そして、1937年ドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦の始まりであった。当然、親独政権のアメリカ合衆国は、ドイツに対する物資的な援助を行った。しかし、あくまでアメリカ合衆国はモンロー主義を貫いたため、戦いは、ドイツ・欧州連合軍と英日列島垂軸軍の戦いだった。
激しい戦いの末、1951年4月。ベルリン国会議事堂に、ユニオンジャックと旭日旗が揚げられることとなった。
ただ驚くべき事は、当時のドイツはインド・アフリカ戦線で日本軍に、完全撃破されアフリカの利権は失っていたが、フランスのほぼ全土とロシアの大半を占領していたのである。
総統官邸で、空中戦艦(戦略爆撃機の日本の呼称)富嶽の投下した、5トン対要塞徹甲爆弾の直撃を受け、暗殺(?)されたヒトラーの跡を継いだ、デーニッツは、ハンブルグに入港した、当時聯合艦隊(GF)旗艦、戦艦 駿河のデッキで降伏文章に調印(ロシアやフランスといった国をどうやって復興させるのかという問題は別として)第二次世界大戦はここに終結した。
アメリカ合衆国は、この戦いに何の関与もしなかった。いや、合衆国は、戦争に関与しないことで、ヒトラーを援助していたと考える方が妥当だろう。
アメリカ合衆国大統領ウィルキーは、モンロー主義を徹底することで、日英と戦っていたのだとすれば、当然、大戦終了後に新たな世界の支配者となった日英と合衆国の関係が悪化したのも無理はなかった。
元になった話・・・・・随分昔でかなりの黒歴史
R・Bの影響受けまくりですね・・・本来こちらがメインでしたが・・・いつの間にやら・・・
かなり、読みにくいですが…なにぶん、昔の発掘品・・・文法もメチャメチャだなぁ