江戸時代の大プロジェクト
オランダ船沈没!
寛政10年(1798)10月17日の夕暮れどき、長崎の出島を出港したオランダの商船エリザ号が長崎湾の入り口で風待ちをしていたときのことです。天候が急変し、暴風雨となり、エリザ号は高鉾島脇の唐人ケ瀬に乗り上げてしまいました。
オランダ船難破の知らせを受けた長崎奉行所では、船を遣わして90人余りの乗組員全員を救出し、夜明けを待って難破船を木鉢浦の土生田浜まで曳航しましたが、19日の朝、ついに沈没してしまいました。
沈没した船の底には、日本での取引きで得た銅数万斤のほか樟脳などが残されたままで、スチュアート船長は、エリザ号をどうにかして引き揚げられないか長崎奉行所に相談しました。
奉行所はこれを引き受け、船を引き揚げられる者を募集する高札を各地に立てました。
困難を極める引揚作業
そのころ村井喜右衛門は、沈没現場すぐ側の香焼島を拠点に、干しいわしの肥料を扱う回船の仕事をしていました。
高札を読んだ喜右衛門は、沈没現場を調査した後、奉行所に引き揚げを申し出ました。しかし、奉行所は地元の者で行いたいとの考えから許可しませんでした。
さっそく地元から2人の知恵者が選ばれ、様々な工夫を凝らして引き揚げを試みましたが、冷たい海水に多くの人夫は体力を消耗し、海底に潜って水死する者が出るなど、いずれも失敗。見かねたオランダ人引き揚げを申し出、挑戦しましたがこれも失敗に終わりました。
写真=長崎県立長崎図書館に保存されているオランダ船引き揚げの仕掛けを詳細に描いた絵図
エリザ号 オランダ東インド会社がチャーターしたアメリカニューヨーク船籍の帆船。長さ23間(約41.4m)、幅と高さはともに6間(約10.8m)、マストの高さ14丈(約42m)で、およそ1000〜1500t級の大船でした。大砲を36門積んでいて、日本に渡来した最初の米国船ともいわれています。
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