今からおよそ200年まえの1799年(寛政11)、長崎の海を舞台に、沈没したオランダ船を引き揚げるという大プロジェクトが行われました。
何人もが挑戦し、成しえなかったこの難事業を、技術と勇気をもって成功させたのが徳山市櫛ケ浜の村井喜右衛門です。
喜右衛門の偉業は、鎖国中の江戸時代にもかかわらず、海外に広く紹介されました。
今、出身地の櫛浜地区と船の引き揚げが行われた長崎県の香焼町で、喜右衛門の功績を後世に伝えようという取り組みが行われています。
村井喜右衛門の人物像
村井喜右衛門は宝暦2年(1752)周防国都濃郡櫛ケ浜村(現在の徳山市櫛ケ浜)で生まれました。
幼いころからとても利口で、母と、大叔父市兵衛の墓に参ったとき「叔父さんは胆力をもって天下に名を知られた。私は智計工夫をもって叔父さんに近づきたい」と誓いを立てたと伝えられます。また、13歳のある日、父と兄について玄界灘を航行中に日が暮れ進路を見失ったときは、自ら船の方向を定めて、無事肥前の港に着くことができたといいます。
常に高い志を持って事にあたっていた喜右衛門は、成人した後、長崎湾口に位置する肥前領香焼島(現長崎県香焼町)に漁場を構え、干しいわしの商売で大成功を収めます。
毎年8月から翌年5月までを島で過ごし、地元の人達の信望を集めていた喜右衛門が、オランダ船の沈没を知ったのは48歳のときでした。
写真=喜右衛門像と喜右衛門が漁場を構えていた香焼町の栗ノ浦
次へ