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2011(H23)年

 

1月

05(水)地検○○支部で。
告訴状(偽造振込証明書の関係)の第2、3、4案を提出。添削してもらった第1案を作り直したもの。
 
11(火)地検から電話。明1/12(水)11.00に面談の約束。
 
12(水)地検で面談。第4案で告訴状を造ることになった。
 
17(月)地検、○○さんと面談。
告発、告訴の法律上の違いを説明して頂いた。大差ないことを説明した上で「告発」として受理する旨の説明があった。だが、その「告発受理」が押しつけがましかったので、曖昧な返事をした。受理が「告訴」か「告発」かは知らされていない。
 
 「告訴は被害者本人」「告発は被害者他人」という説明があれは、当然告訴にしたはずと今は謀られた思いだ。
 
18(火)17.30 A(法)で、打合せ。
 
20(木)11.30 裁判日。
1.00頃 ○○の○井氏が突然来訪。私のことを心配してくれて申し訳ない気持ちがあったが、私のことを探りに来たのかとも少し思った。これまで妻の○子と○井氏の話しぶりが緊密に見えたからでもある。○井氏も党員かと思っている。
 
地検・○○さんから電話。「告訴→告発で受付ける」とのこと。「文書が告訴のままだったので告発に書き直しをする」と電話したら「その必要はない。告訴も告発も実質的な差はない。告訴状の内容が告発に当たるものという理解でよい」とのことであった。
 
22(土)A(弁)から手紙。
1/20の裁判で、相手側B(弁)から「証拠申立書(尋問事項)」が出されていたとのことで、同封されていた。1/20に出されたとは気付かなかった。A(弁)も何も触れてくれなかった。そういえば、裁判長の雰囲気が少し変だった。(この後の7/7の時には、裁判長は手の震えが止まらないほど変だったが、今回のはそれほどではなかった。)
 
27(木)A(弁)から電話。
 「長女」の通帳のコピーをとりに来てくれとのこと。散歩の途中に取りに伺った。
 

2月

03(木)15.00 A(弁)との打合せ→2/9 .10.00に変更。
 
09(水)10.00 或いは16(水)14.00A(弁)との打合せ。
朝、県庁職員課に電話して「給与支給明細表の発行」をお願いした。私の身分を確認してもらうために、○○時代の同僚・○○さんの名前を出させてもらった。午後に再度電話して確認することを告げて電話を切った。退職後8年近く経っているが特に問題になりそうな様子はなかった。
A(弁)との打合せ。
家計簿の内容解釈について、特に、税金・社会保険料や電気・ガスなどの公共料金が2重計上になっているのではないか等を、ホワイトボードを用いて議論した。また、給与が正しく家計簿に計上されているかを確認するために、今朝、県庁職員課に給与支給明細表を発行するようお願いした旨も話した。
 
事務所の○○さんの応接室への出入りの様子が変だった。出入りの際に出た先直ぐの東側を気にする印象があった。
 
ところが、終了後、A(法)事務所の建物玄関を出て直ぐに、左10m位の交差点で信号待ちをする女性に気づいた。妻の○子に似た背格好の女が南方向に渡った。歩き方が少し違う。というか堅い印象で、こちらを意識しているためか私を誘い出すためにためにかそうなっていたのかも知れない。
 
すっかり見えなくなって車で後を付けた。その女は、交差点から30mくらいの所で西に右折したので、私も続いて右折。10mくらい先で通り過ぎざまに右を歩く女に目をやると、女もちょうどのタイミングでこちらをしっかりと見据え返してきた。とっさに「こんな唇ではない。別人物だ。」とその時は思った。
 
でも、しっかりと見据えかえしてきたその雰囲気やタイミングは○子のものだし、化粧や変装等で顔の雰囲気は変えられること、A(法)事務所の○○さんの様子が変だったこと等を考えると、○子だったのではないかと思ってしまう。○子が、A(弁)に頼んで、私との打合せ状況をスパイしたのではないかと思った。
 
 16.00頃? 
県庁職員課に電話したところ「給与支給明細表の発行は出来ない」とのこと。理由を尋ねると「退職後5年を経過しているので」とのことであった。1〜2年前に「退職金支給明細表」を請求した時は「5年経過」などは言わなかったのだがとは思ったがそのまま引き下がった。
 
今朝のお願いの時点では、「支障なく出せる雰囲気だった」ことも考え合わせると、A(法)事務所でスパイもどきを働いた「妻の○子?」が、同僚党員を通して県庁職員課長か誰かに働きかけ、「5年経過」を理由にこちらの請求を断ったのではないかと思った。それこそ邪推かも知れないが○子ならやりそうな、あり得ることである。
 
16(水)14.00 A(弁)との打合せ。
領収書、給料支払表の提出(を原告に求めた?
 
22(火)17.00 A(弁)との打合せ。
大激論となった。
@ しつこく何度も約束していた「H、16/1.2.3の3ヶ月分の家計簿集計(収支年表・預貯金保険・電気等の公共   料金等)で、A(弁)の考え得る最も正確な集計」をやってくれていないこと、やろうとしないことについてであ   る。(結局、最後までやってくれず自分でやった)
 
A 2/24に裁判所に提出する予定の「意見書」に迫力が欠けていること。
B 原告側が本人尋問をかけてきていて裁判の終結を図っている一方で、A(弁)がそれに応じようとしている   こと等にも大不満であるとぶっつけた。
 
A(弁)は「2/24の裁判延期を申請する」旨答えた。
 
24(木) 2/24の裁判は、延期されていた。
(かって、事前のこちらの疑問に、「後2〜3回の調停の後、終結することになります」と言いつつ、A(弁)は調停終了の席を設け、同意させられた苦い経験があるので、油断のないように確認した。)
 
地検の○○さんから、「告訴状が受理された」旨、直接聞いた。
 

3月

10(木)15.00 A(法)で打合せ。
A(弁)は、家計簿・預貯保欄の税金社会保険料の引去りが2重計上にあたるとの理解を示した。電気・ガス等の公共料金引去りは、確認しないと分からないが私の「2重計上」の主張は一応理解したとのこと。
 「本人尋問」は、時期尚早であるとの主張を文書で出してほしい旨申し入れた。
 
13(日)長女から電話。
長女「何しちょるんかね」。私「まあまあ」。長女「家計簿の計算かね」と、私の作業状況を知っているようだった。○子から聞いたようだが、むしろ、○子がどうして私の取組始めたばかりの作業状況に詳しいのかと疑う。
 
私が、家計簿のパソコン処理に取組み始めたことを知っているのは、A(弁)だけである。妻の○子がA(弁)から聞いたのであろう。
 こういう(正に1対3の)中で苦しく果てしない作業を続けていると、時に発狂しそうになる。
 
結局、家計簿のパソコン処理は7月で一区切りできた。
ただ、未記帳の給与(計、約6年分)や不当な経理処理等を修正した最終版には10月近くまで掛かった。
 
16(水)15.00 A(法)で打合せ。
 
18(金)? A(法)で「準備書面」の打合せ。
草案についての打合せだったが、こちらがズバズバ指摘するので先生はややむくれ気味でもあった。
 
22(火)14.30 裁判日(2/24予定の変更分)
 
27(日)地検から 不起訴の決定通知書が送られてきた。
3月下旬に○○地検に「告訴したものの結果が出てこないので」と電話していたからか、電話後1週間くらいで「決定通知書」が送られてきたもの。人事異動期だったので、「うやむやにされるのではないか」と恐れたのであるが、こちらの思いが裏目に出て「不起訴」になったなと思った。
 

4月

26(火)13.10 裁判日。延期。
 
31(火)10.00 裁判。
領収書はりつけノートの2冊と「長女の通帳」10冊弱が提出された。ノートは平成元年以降のもの(全18冊)のうち僅か2冊であり、2冊とも中身を大量に剥取ったものであった。私自身が、B(弁)に猛然と抗議。「2冊だけか。しかも中身を大量に剥取っている。不明は膨大である」。B(弁)は「その時はその時で」と答えただけであった。
よくもまあ市民が最後に頼みにする○○党付きの弁護士を名乗れるもんだ、と思った。
 

5月


6月

07(火)15.00 A(法)で打合せ。
原告提出の「長女の通帳」を私に貸出すことは出来ない。「本人には見せないで欲しいと言われた」「コピーなら渡せる」とのこと。大口論になった。変造の可能性もあるからとのことであったが、「本人には見せないで欲しいと言われた」とはなんたること。どちらの弁護士をやっているのかと思った。
 
以前、「一部の通帳は中を破り抜いている」とも答えたが実物は見せてくれなかった。私がどこですかと尋ねると、とっさに通帳末尾の何も記入のない借入金欄を開けて「ここです」と指差したが、「破り取られていた」跡など何もなかった。
 
後に裁判所で裁判官や相手方・B(弁)がいる前で少し言い争いになった時には、「そんなことは言っていない」と打ち消した。私は「いいえ、そう仰いました」とはっきりと反論して終わった。
「破り取られていた」通帳は確かに存在するようだが、特定できていない。
 
16(木)15.00 A(法)で打合せ。
A(弁)から見せられた原告提出の「長女の通帳」は5冊のみであった。5月末に裁判所でA(弁)に渡された時は10冊前後はあった。先の6/7のA(弁)との打合せ時に「一部の通帳の中が破られている」と仰っていたがどれですかと尋ねると、通帳末尾の借り入れ欄を開けて「ここです」と言いながら、そこには破りとられた跡など何もなかった。
 
おそらく、中身が破りとられた通帳が存在し、それは例の計約2,700万円(10回分)の送金先であり、A(弁)は原告側(特に○子に)に頼まれて秘匿に協力しているのだと思う。
 
「電気・ガス等の2重引去りはない」とのA(弁)の説明を受け、「一応納得した」と答えたが、帰宅後に「やはり2重引去りだ」との結論になった。
その後のことだが、この「電気・ガス等の2重引去り」問題は、銀行への給与入金後にそれらの引き去りをしており「2重引去り」でなく、当方の誤解であることが分かった。
 
27(月)15.00 A(法)で打合せ。記録ナシ
 

7月

04(月)13.00 A(法)で打合せ。
記録ナシ(おそらく、パソコン処理をした家計簿のこと)
 
07(木)13.15 裁判日
事前の打合せでは私が説明することになっていた「パソコン処理をした家計簿」の資料説明をしようとした時、B(弁)が何か一言二言を述べた。その時、A(弁)が「先生がそのような質問をされると、被告が余計に説明したくなります」とA(弁)の言葉が奇妙だった。私は資料説明を遮られてしまったのである。
 
奇妙なことに裁判官の手元、口元もひどく震えていた。裁判官が「敵にやられたのかも知れない」と思った。この時は、どちらかの(2人かも知れない)弁護士が何気ないチャンスを作って、妻の○子と裁判官とを引合わせたのかも知れないと思った。
一方、直前に、A(弁)B(弁)が控え室かどこかで打合せをしたのではないかと疑った。裁判の中でのA(弁)・B(弁)のやりとりにそれを感じた。これでは、我がA(弁)が私の発言を遮っているも同然であり、我が方の弁護士が相手側弁護士と結託しているも同然ではないか。
 
29(金) 再審申立書を裁判所に常駐の係官に持参。
担当者が休暇中とかで8/2(火)に持参することに。
帰途、読売(新)○○支所に再審申立の資料を持込んだ。「こういうことは大勢の仲間でやる方がいいですよ」と2〜3度言われた。その時はそれ程気にも留めなっかたが、後から考えると「命が危ないですよ」と言われているようにも感じた。これも考えてはみたが「やる」他はないだろう。
 
31(日)温泉の○○荘で。
本当に鋭い殺気を持った40歳中程のやや太り気味の男がどっぷりと湯船の中程に、これも少し危ない雰囲気の30歳初めの男は、本当に居心地が悪そうに私の側にいて、ひたすら男の視線を避けるように風呂の縁に腰をおろし、足を湯につけている。隣の男は、私のごく若い時の知り合いにも似ていたが定かではない。この2人は同じ仲間だろうが、私を狙っているのだろうか、私に脅しをかけているのだろうか。あれこれ不吉なことばかり考えている中にふっといなくなった。
 
以前に○湯で見かけた、俺を値踏みに見に来たらしい70歳過ぎのドスの効いた爺様と40歳位のしまりのない感じの息子の組とは違った殺気だった。あの時は、しまりのない感じの息子は「自分の親父(目の前の按摩機に座ってこちらをじっと見据えていた爺様のことのよう)が「こともあろうに他人様の嫁を手に入れて……」などと自慢話をしていた。その自慢話を私の直ぐ後ろの「○男」さんが身振りで制止しようとする印象であった。「○男」さんは「妻の○子と私との事情を知っているようだ」と思った。
 
爺様については、何となく「俺を値踏みに来たな」と思ったが、この程度で騒ぎを起こすわけにもいかないと思ってさっさと帰った。
 

8月

02(火)再審申立の書類を提出
 
03(水)? A(弁)に電話。
A(弁)からは、
@ 8/4(裁判日)用の先方からの資料は、8/2現在、届いていない。
A パソコン処理の家計簿資料のミス分の差替え準備もまだ出来ていない。
の2点の説明があった。
 
04(木)10.00 裁判日。直にB(弁)を詰問。
私の「こちらが提出したパソコン処理の家計簿資料では、3億5千万円ほどの剰余金が出ているがどう考えるか」に、B(弁)が「これまで出された資料と大差はなく、これまで答えてきた説明で十分と考えている」旨のものであったからだ。
私は強い口調で「○○党員の原告に○○党付きの弁護士。市民の最後の拠り所の○○党員がこれでいいんですか」などと発言した。
 
かなり早い時間にA(弁)が「直接発言するのは控えてください」とも言い、B弁護士も「裁判長、どうにかなりませんか」といった趣旨の言葉も吐いた。裁判長も何か言いかけようとしたので、私が「すみません少し声を抑えます」程度のことをいったように思う。
 
B(弁)は、立って直ぐに出ようとしたので、私は「まだ時間は半分(7分)くらいあるじゃないですか。次の時間もあなたはここでやることになっているじゃないですか」と言うと、裁判官は驚いた様子で、日程表を確認しているようだった。私も立上がってB(弁)の退室を(体に触れないように注意して)制止しようとしたが、振り切って退室していった。
 
後の控え室でA(弁)が、「非常に怒っている。弁護士を降りることもありうる」旨のことを言っていたが、私は腹を括っていたのか「先生、ここで辞められたら私も非常に困りますが、本当に辞めることが出来ますか?」などと言ったように記憶している。これらのことは覚悟の中に入っているが、A(弁)がどう出るかは実は重大だ。
 
12(金)
@14.00 A(法)で打合せ。特記事項なし。
A15.30 ? 家裁の書記官・○山さんを尋ねた。
8/4の裁判での私の行動で「何か悪いところはなかったか」と尋ねたが、特に指摘されることはなかった。7/7に裁判官の手がひどく震えていたことを聞いても見たが、気づかなかったとのこと。
8/2の再審申立の書類提出後の様子も尋ねてみたが、返事をしなかった。
 
20(土)温泉の○○荘で。
男3人組が私を観察しているように見えた。私を見てニヤリとしたかしないかの、50歳くらいの痩せた細目の男、60歳くらいのがっしりで背の高い男、40歳くらいの中肉中背の男だ。X銀行?地検?などと色々疑った。
 (だが、50歳くらいの痩せた細目の男にはその後も時に出会う。公務員で管理職風にも見えた。それにしても、なんたる私の妄想)
 
23(火)○○党(県・支部)に電話。
電話受付は○○さん。「どなたか会ってもらえないか」と申入れた。理由を概略説明。その中でこちらの氏名も妻の○子の名前も伝えたが、「ああ」と○子を知っている印象であった。双方の弁護士氏名も伝えた。裁判内容の概要や告訴中の内容も伝えた。
 
30(火)@○○党(県・支部)に電話。
○田さんが対応出た。「議論中」とのこと。「結果はお知らせするつもり」とのこと。
 
AA(弁)と打合せ。?→16.00に変更。
 

9月

09(金)17.00 A(法)からFAX. 「9/12(月)14.00から打合せ」とのこと。
     
12(月)14.00 A(法)で打合せ。
次回のための準備書面が、長女の通帳(の再提出)に触れていないことを指摘。A(弁)は「入れておいたはずなのにおかしいなあ」と何度もとぼけていた。長女の通帳が平成15年5月で途切れて以降のものが提出されていないので、文書で提出を求めるよう何度も促していたものである。(A(弁)は、これまでもこうやって重要事項を流して来たのである)
 
A(弁)に「こちらの家計簿資料で、3億5千万円なりの剰余金の存在を示し得た今、他に主張すべき点は少ない。従って、裁判を早く進めて終結に持って行ってもいいですよ」と言ったところ、A(弁)は首を縦に振らず、私が「3月末まで?」と言うと、「無理だ」という印象であった。
 長引く裁判で喜んでいいはずの内容と思うのに喜ばない「変な」A(弁)と思った。相手方の(長引かせたいとの)意図を体現しているような印象を受けた。   
 
20(火)13.10  裁判日
裁判官がA(弁)に、私が作成した「乙20号証(パソコン処理の家計簿資料)」の証拠説明書を提出するよう話していた。A、Bの両弁護士には話が通じていた印象だったが、私には突然で意味が通じなかった。以前に証拠説明書が要るという話は出ていなかったからだ。第一、私の作ったものとA(弁)が補足したものの2枚が、証拠説明書として既に出されているではないかと思った。私の知らない所で出た話かも知れないと気に掛かった。
 
(後でA(弁)から聞いた話では、一般的に別の場で別件について触れることもあるとのこと)
その後出された「証拠説明書」なるものは私が作成したものとほとんど同じもので、裁判官共々で「時間稼ぎ」を図ったのかも知れないと、後になった今も感じている。
 
21(水)14.00 ○○党(県・支部)○○さんと面談。
党の電話受付・○○さんから電話番号を聞いていたので今朝電話して、自分の仕事場で会うことになった。告訴状の控えを持参し、内容やB弁護士のこと○子のことなど説明した。
結論として「○子さんという人は党にはいません。いや、私がこの地区に帰ってくる(昭60年頃?)以前に辞めていれば分かりませんが、その後に入党したり辞めたりした人には○子さんという人はいません」とのこと。
 
それまでの雑談では、党員という評判のa、b、c、d、元県委員長のe、文学青年気取りのf等々のことをすらすらと答えていて、私の知っていたことと皆一致していたのに、○子のことについてだけ知らないというのはあり得ないことだと思った。
 
○○さんは完全に嘘をついている。党・受付の○○さんは「議論中」であり「結果はお知らせするつもり」と言っていた。なのに支部責任者の○○さんからは、長く電話もない。忘れていたはずもなかろうに。こちらから電話をすれば、話が通じていたかのごとく直ぐに会うことを約束してくれた。○子のことを全く知らないのであれば、もっと早くにそのことを伝えてくれても良かったはずだし、こちらが「会いたい」旨の電話をした時や私の仕事場で会っての直ぐにでも、「党員で、○子さんという人は知らないのですが」くらいは言っても良さそうに思うのだ。
 
妻の○子が結婚直前に「続けたい」といったのを、私が「だめだ」と党に関係し続けることを拒否して以来確認はしなかった。「その気配がなかった」ので、そのままにして置いたのが良くなかったかも知れない。
しかし、「党員であること」だけならまだしも許せようが、「家計簿上に多額の剰余金を隠し、自分の数々の不倫を棚にして、疑われたからと慰謝料(500万円)をこちらに求め、年金の差額まで求める悪徳」を、どうして許せようか。かてて加えて党員のB(弁)を巻込み、我がA(弁)を籠絡してしまう。
突き詰めて考えていると発狂しそうになる。                  

10月

04(火)15.00 A(法)で打合せ。
私が忘れていた。申訳ない。○○(弁)からの電話で気づいた。
          
07(金)? A(法)で打合せ。
「乙20号証」の証拠説明書(案)が出来ていた。チェック分を直ぐに届けた。これまでのものと大差がなかった。 9月20日に記述したように、裁判官が「乙20号証」の証拠説明書を求めたのはどういう意味だったのか、改めて疑問に思ってしまう。
 

11月

10(木)15.00 A(法)で打合せ。
準備書面について大口論?になった。「先方が秘匿している「長女の通帳」を出させる「心のタンカ」を切って下さい」と訴えたが、主張はかみ合わなかった。 
 
14(月)? A(法)で打合せ。
パソコン処理の家計簿資料(預貯保集計表C)を届けた。この預貯保集計表Cは、相手側提出の家計簿コピーを私がコンピュータ処理した預貯保集計表Bに、未記帳の給与(計、約6年分)や不当な経理処理等を修正したもので、剰余金はほぼ5千万円増えて4億円余に及んでいる資料である。
        
15(火)? A(法)で打合せ。
預貯保集計表Cの提出を次回にするよう決めた。A(弁)作成の陳述書が未完であるため。
17(木)13.10 裁判日
B(弁)を強く説得した。というより詰問という方が近いかも。「本物の弁護士になって下さい」等。
後で、A(弁)が私を強く叱った。「辞めるかも知れない」と。私は「辞められる筈がない」と反論した。言い過ぎではあったが「私の弁護士ではなく、本気で相手方の弁護士もやっているように疑っていたので、本当に辞められるはずがない」と思っていた。
 
それは、A(弁)が、調停の初期の時点で「○子さんとは一度だけ会ったことがある」とか「○子さんには説得力がある」と言ったり、「(A(弁)が知るはずもない)長男さんの家の新築おめでとうございます」と2度も重ねて言い、私が怪訝そうに黙っていると「いや結婚のことです」と慌てて訂正したり、長女が、以前私が「どうもこちらの弁護士が○子と通じているようなんじゃ」と言ったことについて、「お母さんは、それは初めの中だけのことと言ってたよ」と、事情を知らないまま私に言っていたことなどがあったからである。
 
一通りの手続きが終わった後、裁判官のいる前で、私がB(弁)に、「提出した通帳を被告(私)に見せないでと言ったようですね」と念を押したところ、「そんなことは言っていない」と言うので、「A(弁)から聞きました」と言うと、A(弁)は「そんなこと言っていない」と答えたので、私は直ぐに「いいえ、聞きました」などと言い合った。
 
短時間のやりとりではあったが、「提出された通帳を被告の私に見せない」と誰が言ったのかを確認するためのトリックでもあった。A(弁)は、B(弁)からではなく妻の○子から「見せないで」と依頼を受けたのだろうとの疑念が強まった。
こうした私の疑念は、A(弁)が相手方と強く結びついている証拠でもあり、それだからこそ「私の弁護も、本当に辞められるはずがない」と思うのでもある。
 

12月

02(金)15.00 A(法)で打合せ。
 
06(火) 長男分の「○○(薬)株」カレンダーが届いた。
        例年のこと。株主の住所が変わっていないことを見ると、株は長男に渡っているのではなく妻の○子が管理して        いる証拠である。
 
09(金)15.00 A(法)で打合せ。
 
14(水) ? A(法)で打合せ。
 
19(月)13.00 A(法)で打合せ。
 
22(木)13.20 裁判日。
次回予定日を決めるについて、私が「(3月末で異動が予想される)この裁判官の下で判決をもらいたいから、次回は1月中にお願いしたい」と言うと、A(弁)が「1月中では資料がそろわない」と言い張って2/7(火)になった。A(弁)もB(弁)もどうしてもこの裁判官を避けたいようだ。
 
確かにA(弁)が、ずっと以前に「この裁判官で良かったですね」と言っていたように、決着を急ぐ様子もなく誠実な進行ぶりだったと思う。(昨7/7に手や口元がひどく震えていた原因が何なのか分からないことや、再終盤に当方の弁護士の流れに乗った印象があった以外は。)
 
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