エスビー食品 渡辺康幸選手(2002年12月作成)
渡辺選手の引退特集を9月に作成したのですが、S&B時代を振り返りこれにて完結にしたいと思います。徐々に作成していきます。

1996年シーズン
96年4月・エスビー食品に入社した渡辺選手。箱根の大スターの将来への注目度は高まるばかりだった。アトランタ五輪予選会、びわ湖マラソンでの2時間12分台でマラソンでの出場はなくなった(マラソン代表は実井、大家、谷口、選手)
春からは1万mでの五輪出場を目指しトラックに出場し4月7日には東日本実業団長距離記録会で上下白のS&B食品のユニフォームで登場。先輩・花田選手に僅差で敗れるも堂々の社会人デビューを飾った(13分36秒56で2着)、さらに日本選手権前哨戦・兵庫リレー1万mでは花田選手をラストスパートでかわし27分55秒86で1位と「渡辺強し!」をライバルに印象付けた。
その後アジア初の開催となった国際グランプリ大阪大会5月11日・長居第二競技場での5000m13分33秒12で5位と活躍。

そして迎えた運命の五輪予選会・日本選手権10000m
主な選手の予選成績
1組)ニジガマ28分15秒(1位)花田28分34秒(6位)平塚28分34秒(7位)高尾29分24秒(16位落選)
2組)渡辺29分10秒(1位)高岡29分10秒(3位)早田29分37秒(20位落選)
95年世界陸上代表の高尾・早田・選手がまさかの落選
日本選手権1万m決勝。無風で小雨の長距離に適したコンディションの中、レースはニジガマ選手がハイペースで引っ張り5000mの通過は13分52秒、残り700mから伝説の死闘が繰り広げられ平塚、花田、が仕掛ける-渡辺、高岡が対応-ラスト400m先頭から平塚、花田、渡辺、高岡-残り250mからエスビー食品の鉄壁を脅威のラストスパートで追い上げ始めた高岡-残り100m先頭から花田、高岡、渡辺、平塚-残り50mで高岡ついに、花田をもとらえ歓喜のフィニッシュ、渡辺選手は3位・で五輪出場権を獲得した。
96・日本選手権
1位・高岡寿成 27分49秒86 自己新
2位・花田勝彦 27分50秒46 自己新
3位・渡辺康幸 27分51秒97
4位・ニジガマ  27分53秒49
5位・平塚潤   27分55秒16 自己新

1996年
激戦の日本選手権でアトランタ五輪1万m代表を勝ち取った渡辺選手だがアキレス腱の故障で五輪は予選からレース自体を欠場。結果的に五輪のトラックのスタートラインに立つことすら成らなかったのは陸上選手として無念だったと思う。早大時代から休養時期無く活躍し続け箱根2区6分台、東京国際欠場、びわ湖出場、トラックシーズン開幕、五輪予選突破、と渡辺選手には常に「渡辺康幸」としての活躍が期待され肉体的精神的に負荷が高い宿命を背負った。アキレス腱の故障での痛みは本当に渡辺選手を苦しめ、消耗させていったのではと推測される。

渡辺選手のロングスパート
渡辺選手の最高の勝ちパターンは「ロングスパート」(残り800m〜600m付近から逃げ切る)とレース自体が非常にハイペースで渡辺選手のみ生き残れるパターン。
96・日本選手権1万mなどのレースに象徴されるように、「ラストスパート」(残り300m〜200m)となると高岡選手、花田選手のように動きが切れるキッカーには分が悪い。そういう意味では96・兵庫リレー1万mでのラスト勝負で花田選手に勝ったのは価値が高いと思う。
ろっくが思うラストスパートの強い選手
高岡、花田、岩佐、瀬戸、山口、徳本、・・・選手など
ろっくが思うロングスパートが勝ちパターンの選手
渡辺、早田、坪田、佐藤、油谷、尾方、・・選手など
考えたらきりがないのですが全盛期の力関係で考察してみました。
1997年シーズン

97ニューイヤー駅伝は渡辺選手は故障欠場。アンカー対決で旭化成・佐藤信之VSエスビー食品・櫛部静二選手、3秒差で旭化成が優勝。ろっくとしてはこの時、櫛部選手には優勝して個人的にも勢いに乗って欲しかったです。
トラックシーズンになり渡辺選手はアトランタ五輪欠場から10ヶ月、97年5月18日・東日本実業団5000mで13分59秒95で6位。
5月30日に日本記録挑戦記録会10000mで28分31秒4で1着。
これ以降、大会への出場はなかったため、主な成績はこのほかは見当たらない・・渡辺復活のきっかけがみえてこないままこのシーズンを終えた。

97年雑感
トラックでは97・アテネ世界陸上で高岡選手が28分06秒で決勝進出も決勝は故障欠場。鐘紡を退社して岐阜陸協で競技をしていた早田選手は28分27秒で予選落ち。
その後、早田選手はアラコに移籍し12月、97福岡国際マラソンで2時間08分07秒の日本人国内最高記録で2位。ようやくマラソンで早田選手(当時29歳)が開眼した。


98年シーズンへつづく・・
1998年シーズン

ニューイヤー駅伝に「渡辺康幸」初登場、7区(16.4K)アンカーで展開は厳しくタスキを受け取った時に前を行く旭化成・秋吉選手との差は約47秒、結果はあと15秒及ばず2位でゴールを迎えた。浦田春夫さんの持つ区間記録47分45秒を大幅に上回る47分15秒の区間新記録、区間2位の高岡選手も区間新記録の47分44秒であったが渡辺選手が29秒速かった。前半の7区間の累積借金47秒を跳ね返して奇跡の逆転優勝!の筋書きは崩れたが、走る状況は違うとはいえ同じ区間を走った高岡選手に約30秒勝ったことは復活を予感させた。

2月22日熊日30Kロードレースでは西本一也さんの持つ日本最高1時間28分46秒には及ばなかったものの、1時間29分47秒で初優勝を飾った。2位には藤田敦史選手が1時間30分21秒の学生記録を樹立。

トラックシーズン初戦・4月12日東日本実業団記録会5000mで渡辺選手はいきなり13分27秒60の快走を見せる。この記録はヨーロッパで格上の選手に引っ張っられて出した94年の13分26秒53の自己記録にあと1秒07と迫るもので、春先の実業団の記録会で出された記録とは思えない離れ業として記憶に残っている。エスビー時代にはタイミングよく海外レースに行く機会が得られなかったのか、海外遠征で好記録を樹立する高岡選手のようなチャンスが何度かあれば面白かったなと1ファンとして感じてしまう・・ともあれ国内レースを独走でこれだけの記録で走ってしまう渡辺選手のポテンシャルの高さを証明する形となった。

続く4月26日兵庫リレー10000mでは途中8000mまでは日本記録を上回るペースで推移したが残り2000mでペースダウン、日本記録は成らなかったが自己新記録の27分46秒39で日本人1位。日本人2位の花田選手が28分05秒であったことを考えたらここでも渡辺選手の能力の高さがうかがえる。くどいようだがやはり海外のレースのほうが日本記録などは狙いやすいのではなかったかと思ってしまう。
駅伝での区間新、30K自己新、と98年4月のこの5000m、10000m2レースで渡辺康幸、完全復活といえる状態にカムバックしてきた。陸マガの記事によると「マラソンが走れて本当の完全復活だ。」との力強いコメントがあり、さらにマラソンでは「9分台8分台ではなく7分台を狙って花田選手とトレーニングに励みたい」との事であった。写真の表情にも笑顔と自信が戻った本来の渡辺スマイルが載っていた。


98福岡国際マラソン

さて春先のロード、トラック、で完全復活を遂げた渡辺選手、12月6日の福岡国際マラソンに満を持して登場。
直前の雑誌、新聞などの情報などによると「練習が積めて好調」と「それほどいい練習ができていなくて不調」と両方の情報が交錯していたように記憶している。2、3日前の朝日新聞では不安視されていたので、大丈夫だろうか?と心配したが結果は33キロ過ぎに無念の途中棄権・・シューズもかなり厚めを履いていたとの事で、最初から脚に不安があったようだ。

渡辺選手にとっての「マラソン」という種目はそれ以外の輝かしい戦跡を残した種目とは、あまりにかけ離れた苦々しいものとなった。
本格的に参戦しようとした「96・東京国際マラソン」は直前のドタバタ・キャンセル、3月にスライドして本調子から程遠い状態での「96・びわ湖マラソン」、そして崖っぷちで望んだ「98・福岡国際マラソン」では33キロで途中棄権。

このあたり早田俊幸選手と比較すると23歳の初マラソン92・東京国際で2時間10分37秒を記録し3位、その後94東京国際でも2時間10分19秒で日本人トップの3位となりアジア大会代表獲得、アジア大会銀メダル獲得、と五輪予選にはかみ合わず悲劇のヒーロー的な報道が多い早田選手もマラソンでの実績は数多いし、自己記録も97福岡国際マラソン2位時の2時間08分07秒の当時現役最高&国内最高記録(日本人)を残した。その他のこのレベルの選手の中でも渡辺選手ほど「マラソン」の結果が残っていない選手はいないと思われる。
引退の特集が載っていた陸マガにも「一度、本当にいい状態でマラソンを走りたかった。」と本人のその想いが書いてあった。