出来事
1890明治23年9月16日 オスマントルコ海軍フリゲート艦エルトゥ−ル号が台風のため
串本大島の樫野崎近くで座礁沈没した
島民は全村を挙げて生存者の救助に尽力し、遺体を収容した
1891明治24年2月14日 村井市孝(文太長男)生まれる
某月 作間久吉(鴻東)防長新聞社に入る
1905明治38年近藤清石著山口県風土誌毛筆稿本完成す
その内防長人物誌に「村井喜右衛門」著わす
近藤さんが我家に取材に来られた時喜右衛門事蹟を讃える色紙を頂く
1911明治44年11月 作間久吉(鴻東)第6代山口町長となる
1914大正3年7月26日〜28日 山口県立山口図書館で開催された「元就卿事蹟及び防長人著述
展覧会」へ「村井鍛煉抄」村井信重伝(山田時文)陳列さる
12月 村上直次郎著「日蘭300年の親交」に喜右衛門沈船引き揚げ事蹟紹介さる
1915大正4年5月 新南陽市富田政所清水公園「耕地整理竣功記念碑」作間久吉文撰林英作書
10月12日 酒場4代目村井文太没戒名松韻軒崇文晴雪居士
1916大正5年1月4日 近藤清石没84歳墓は七尾山東側にあり
1917大正6年作間久吉(鴻東)山口県立教育博物館初代館長に任命せらる
1919大正8年2月18日 酒場5代目村井市孝没戒名青松軒篤孝穎學居士
5月17日 山口県立教育博物館館長作間久吉書簡と受託証
1920大正9年2月 山口県立教育博物館に喜右衛門史料展示、「蛮喜和合楽」を教育博物館に陳列
していた時、海軍大臣村上格一大将が大正9年2月22日来館し大いに興味を持ってこ
の書を閲読し、図面も精査して、次のごとく語った「寛政の昔にかくのごとき智巧を
極めた方法をもって外国船を引き揚げた事実あることは初めてただ今知ったのであるが
潮力と風力とを巧妙に利用して海底より重量の物を引き揚げることは今日沈没軍艦など
の引き揚げも喜右衛門が案出した方法と用具に精粗の別こそあれ原理にいたっては全く
同一で殊に白帆に風をふくませ沈船を引き付ける意匠は却って今日の方法よりも美術的
であって面白い云々」
1921大正10年3月28日 酒場3代目村井市郎没戒名盤桓軒榮信而緑居士
1922大正11年3月 山口県立教育博物館館長作間久吉「貞秀斎先生碑」文撰と書
9月6日 斎藤阿具著「ヅ−フと日本」発行
1923大正12年2月11日 関門日日新聞幕末の冒険児周防櫛ケ浜の豪族村井喜右衛門の記事掲載さる
3月 香焼島円福寺住職木下達玄喜右衛門消息調査す、協力徳永倉之進、
大久保春吉、坂井政次、村井倉之助
1924大正13年作間鴻東著「村井喜右衛門」脱稿さる
7月31日 村井舜造フラスコ入れ木箱に書す、この箱中に在る瓶は祖先が肥
前香焼島にて活動の際和蘭沈没船を引揚げその礼として和蘭陀船主より贈呈せし洋酒の
空瓶なり子々孫々家宝として保存すべし
1927昭和2年2月 徳山市慶万大成寺「畜魂供養碑」 山口県立教育博物館館長作間久吉文撰
1928昭和3年8月10日 東京駿南社より文学博士斎藤阿具訳注「ヅ−フ日本回想録」発行さる
12月15日 作間久吉著「防長史綱」発行さる
1930昭和5年7月20日 横山健堂「長周游覧記」出版す。河豚の情趣の一文あり。
1936昭和11年5月26日 香川政一著「高杉晋作小伝」発行、鴻東作間久吉跋文をおくる
1941昭和16年11月15、16日 徳山市史展に喜右衛門史料出品す
1942昭和17年10月4日 作間鴻東久吉没76歳天神通り性乾院に墓がある
1947昭和22年8月25日 きえもん誕生
某月 二葉保育園(真宗本願寺派蓮生寺)きえもん姉典子
1948昭和23年8月25日 1才誕生日じゃないかな
1949昭和24年二葉保育園きえもん姉明子
1951昭和26年6月19日 村井のぶ没、文太妻、戒名清操院良信壽泉大姉

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