出来事
1800寛政12年7月 スチュアート船長エンペラーオブジャパン号で再来する
7月16日 ヅ−フ再来日する
1801享和元年3月15日 村井於都称生まれる、市左衛門妻、櫛ケ浜村濱田万治郎次女
8月16日 香焼島堀池神社鳥居花崗岩製奉寄進防州櫛ケ浜笠戸屋徳左衛門
1802享和2年3月5日香焼島栗ノ浦墓地花崗岩製墓石碑文・久菴良昌信士防州櫛浜住人笠戸屋久兵衛
1803享和3年8月22日 ヅ−フ、オランダ商館長になる
8月23日 スチュアート船長ナガサキ号で再来する
1804文化元年8月4日 喜右衛門没享年53歳功海院悟山心承居士墓碑原江寺に現存す
某月 アメリカの難破船エリザ号の船員ザヴェ−ジ
銃の使用によりフィジーの有力貴族となる(調査中)
1810文化7年牧墨僊『一宵話』に「和蘭の沈み船・付きたり村井喜右衛門が働き和蘭陀国へ鳴りひ
びく事」と題して喜右衛門の事蹟を著わす
1811文化8年12月16日 村井酒場2代目村井吉右衛門生まれる、市左衛門長男
1813文化10年市左衛門30才櫛ケ浜村百姓惣触頭筆頭3代目となる(初代喜右衛門、2代目亀次郎)
1820文政3年10月27日 山田時文選「村井信重伝」成る
1821文政4年2月 山田時文は朝倉南陵が描いた喜右衛門の肖像画に賛を書す
1830文政13年正月 賀屋敬(恭安)「河豚談」を出版す
某月 岩崎鼻石灯籠、亀次郎寄進
1831天保2年8月 村井酒場創業者市左衛門原江寺影向の井戸を浚え改修す
11月 市左衛門影向の井戸水にて美酒を醸造す
1833天保4年ヘンドリック・ヅ−フ(元出島オランダ商館長)『日本回想録』に「エリザ号座礁の顛
末・喜右衛門浮き上げを試む」を著わす
4月17日 近藤清石萩に生まれる
1835天保6年7月13日 亀次郎没77歳墓碑原江寺と香焼島浦上墓地にあり碑文徳勝軒徹心如堅居士
1837天保8年志賀理斎忍「理斎随筆」に神風の話題から喜右衛門事蹟を「予長崎に在勤せし時目の当
りに親しく見たることあり」と著わす
12月 オランダ人から貰ったフラスコを保管する木箱を肥前深堀住大工政吉88才に
造ってもらう
1841天保12年7月9日 村井酒場3代目村井市郎右衛門のち市郎生まれる
盤桓軒榮信而緑居士という戒名を早くから自分で考案し使った
1842天保13年「風土注進案」櫛ケ浜の部に喜右衛門の快挙を詳しく記載
1856安政3年「ペルリ提督日本遠征記」に喜右衛門の器用さと才能と潔さが紹介さる
1861文久元年正月 萩表より喜右衛門事蹟の御奉書お改めを
三代目(百姓惣筆頭)村井市左衛門へ仰せ付けられる
1863文久3年2月14日 村井於都称、市左衛門妻没、戒名徳流院灌渓智頂大姉
6月24日 村井市左衛門没、戒名濟隣軒懿叟淨徳居士
8月18日 京都で政変が起こり七卿山口へ落ち延びる
1865慶応元年10月7日 村井文太(市郎長男)生まれる
1866慶応2年9月12日 作間久吉(号鴻東)萩に生まれる
1876明治9年村井七之助丁髷姿の写真を撮る
1880明治13年8月16日 郵便報知新聞喜右衛門新聞初登場現在までの調査で分ったところでは
喜右衛門が新聞に初めて載ったのはこの8月16日2261号である
1882明治15年4月 近藤清石著山口県史畧出版さる
全6巻の内第2巻周防国之中30(59頁)に喜右衛門事蹟記述あり
1887明治20年1月11日 酒場2代目村井吉右衛門没戒名壽昌軒堅巖宗固居士
1888明治21年9月15日 防長新聞「寛政美談」連載始まる15日土曜日(1056号)から喜右衛門の
事蹟を紹介した「寛政美談」が7回連載さる

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