| 年 | 出来事 |
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| 1798寛政10年 | 4月24日 オランダ商館長ヘンメ−氏死亡 6月 エリザ号長崎へ入港 9月20日 エリザ号神崎沖へ出て荷物積み込み始まる 10月17日 暮前出帆のため風待ちの時、俄の暴風雨のため座礁する 10月18日 近くの荷漕ぎ船等救助にあたる上荷を移し木鉢浦土生田浜へ引 き寄せ乗組員90名無事上陸させる 10月19日 朝辰の刻、土生田浜泥海へ沈む船底へ潜る海水船中に充満して19日朝 ついに深泥の底へ沈み入りける、もとよりこの土生田というのはいたって深い 所で海底より一丈三尺余りの泥海なり 10月21日 オランダ沈船引き揚げ者募集 出島乙名、紅毛通詞連名の高札立つ 10月29日 喜右衛門沈船現場へ見物に行く、番船役人から「浮け方募集」の ことを聞き引き揚げ申し出る、番所へ行き詳しい話し合いをする、もう一度沈船現場 まで行き役人の問いただしがあり案を練って浮け方申し出をすることにする 11月1日 喜右衛門沈船浮け方申し出る、恐れ乍ら書付をもって申し上げ候 11月 長崎奉行は他国者喜右衛門ではなく長崎地下もんで出来ないかと 高札立替え、紅毛沈船引揚げ者募集をやり直す 11月 長崎の智恵者田中庄助・山下兵衛千弁万加に工夫するも浮ばず 次いでオランダ人みかねて試みるも失敗す 12月 長崎奉行が喜右衛門へまだやる気があるなら頼みたいと申し聞かす 浮け方の計画書、仕掛け模型を提出させ、必要経費を尋ねてくる 12月27日 香焼島の喜右衛門の仮家へオランダ人2人役人30人ほど御用筋ありと お越し成られ候て沈船浮け方の儀を御目付鈴木七十郎様御頼み遊ばされ候段申し聞かせ 御上が直々許可するから受け状を差し出すようにと仰せ付けになる 12月29日 喜右衛門「口上覚」御受け状差出す |
| 1799寛政11年 | 正月14日 沈船引き揚げ許可奉行所から申し渡さる 1月15日 沈船引き揚げ免許状手渡さる、御用小指し、御灯燈使用許可も出る 1月17日 今日から引き揚げ作業に取掛かる 1月29日 長崎奉行検分す、初めておよそ5、6尺揚がる 篝火を焚いて夜も作業す2月1日から本格浮き揚げを始めることとす 2月1日 浮け方開始 2月3日 エリザ号を75艘の船で9尺吊り上げ帆を掛けて浅瀬まで5丁余運ぶ 2月6日 この日までにおよそ8分方浮き上がり、蘭人修理に取りかかる 2月19日浮き揚げ方あい調い、積み荷陸揚げも終わり、浮け方諸道具しまう 延べ作業人数13000人 2月21日 喜右衛門は長崎奉行から銀30枚の褒美をもらう 2月22日喜右衛門オランダ人から酒入りフラスコ14本贈られる 2月24日喜右衛門大通詞4人からお料理御馳走の接待を受ける 3月12日喜右衛門は長崎奉行所へ帰国願いを差出す 3月帰国許可が出て櫛ケ浜へ帰る 3月21日萩藩の花岡勘場からの下問に詳細な報告書を提出した 3月萩藩から褒賞状が届く、永代苗字帯刀を許される 3月櫛ケ浜の領主宍戸美濃守から褒賞があり御裃を下さり、御領分百姓惣筆 頭の身通りに差し置かれる 4月幕府老中松平伊豆守信明から賞美の言葉が長崎奉行朝比奈河内守昌始の 書状によって届く 6月 エリザ号再出帆する 7月 エリザ号再び嵐に遭い長崎へもどる、後のオランダ商館長ヅ−フ初来日する 夏 オランダ人喜右衛門へ白砂糖20俵贈る 夏 「蛮喜鍛煉書」筆記さる 夏 中川某「蛮喜和合楽」を出版す 11月12日 エリザ号再々出帆する 11月24日 ヅ−フ、出島混乱の報告のためバタビヤへ帰る |